日本の陶器に見られる柄

柄

日本で作られている代表的な陶器の歴史を紐解いてみましょう。桃山時代に、茶の湯の流行により陶器は一気に最盛期を迎えます。織部釉や鉄釉を使った柄が生まれ、素材が持つ風合いや季節に触れる器選びなど、現在にも受け継がれる美意識が花開いた時代です。

江戸時代に大きく発展した伊万里焼き。有田で生産されたものを伊万里港から出荷されていたのでそう呼ばれていました。白色の地に鮮やかな色で描かれた柄はヨーロッパで大変好まれていました。また初期の九谷焼も有田で焼かれていたことがわかっています。その後加賀藩の保護の元、紫、黄色、緑、赤、青、を使って鮮やかに描かれた陶器は美術品としての価値を高めていったと言われています。

戦国時代の戦乱にほんろうされた日本の陶工達ですが、江戸時代に入り尾張藩により呼び戻されます。そして、現在のスタイルに近い陶器の製法や絵付けを習得し、量産できる技術を習得したことから、日常使いを楽しめる現在に至っているのです。

作家

作家

陶器の作家は通常「陶工」と呼ばれます。過去は日本でも陶器作りは手作業でしたので普段使いの安い茶碗なども全て手作りでした。ですので、陶工の人数も多かったのですが、陶芸の世界も機械化が進み安い普段使いの器などは大量生産されるようになっています。では陶工は用済みかと言えばそうでは無く、芸術家として活躍している方が日本には大勢います。

元々陶器は普段使う器としての面と一つの芸術作品としての面があります。一般人が食事を摂る時などに使う器を作る陶工と、博物館に展示されるような名品を作り出す陶工とがいたわけです。前者は現在ではほとんど見られませんが、後者の芸術家としての作家は意外と多いのです。

その中でも名品を数多く生み出し、その功績で人間国宝に指定された方もいますし、そこまではならなくとも名品と呼ばれる作品を数多く生み出した方もいます。また、こうした日本の伝統工芸の中でも陶器の作家は若い方が活躍しているという特徴もあります。